2023.11.14 雑記

私は元気です。

 

誰に届くでもない、誰が見るとも期待していない。

でも見ていたら儲けと思いながら書く。

 

 

さて

一緒に暮らす、ふーちゃん(うさぎ:品種→アメリカンファジーロップ)に指を噛まれた。正直これといって珍しい話ではない。

 

きっかけはいつもこちらが可愛いなと近寄って撫でるとき。

 

大概は頭を撫でろと受け入れてくれるのだが、嚙む時は案外容赦なくて、今回は親指の付け根に血が滲む。

 

噛むといっても長い時間をかけて噛むのではなくて、一瞬の内に痛みが走る感じ。

 

例えるなら

ルパン三世の五右衛門が

「またつまらぬ物を切ってしまった」と敵がきれいに散る筈が、

打ち損じて「痛いよー!!」と敵が転げ回り泣き叫ぶイメージ。

(※五右衛門に限って、それはない笑)

 

 

彼女(ふーちゃん)とはかれこれ6年寝食を共にする。

割と子供の頃から孤高な感じだったのかな。

撫でようとすると、触られれるのが嫌だったのかよく噛まれた。

 

隙を見ては献身的に撫でるようにしていた為、

いつの間にか頭を撫でられる事が至福のような状況になった。

撫でられている顔が恍惚とした表情に ”見えなく” はない。

 

 

とは言え、

今回の様に ”何が不満” なのか血が滲む瞬間も時としてある。

正直、何が起因して噛まれたかは未だに不明だ。

 

どんなに時間をすごしてもわからない事は多い。

ただ考えたら、たかだか6年しか一緒に居ないのだ。

長いようで、実の所は短い。

 

 

 

 

最近、鳥の言葉を解明した日本の小鳥博士なる方の動画を見た。

野鳥のシジュウカラをベースにして、複数のさえずりを組み合わせながら敵が近づいている事や餌がここにあるといった、人間の様な具体的な意思疎通がある事を解明したとの事。

 

 

あずき(オカメインコ)を家族に迎えている自分にも興味深い話だが、残念ながらあずきは何を言っているかわからない。

 

ダンボールを近づけるとテンションが上がり、教えこんだダースベーダーのテーマを歌いだすか、ふーちゃんの名前を自分の名前と勘違いし「ふーちゃん!!」と間を空けて連呼するくらいである。

 

テンションが高い事は何となくわかった気がするが、正直なところ感情の所在が不明なのだ。

テンションが高いというのも、自分達が勝手な解釈でそう思い込んでいるにしかすぎないのである。

 

実際は、ダースベーダーのテーマも

こんな狭いケージに閉じ込めてと呪いの歌を私に投げかけている可能性だってある。

0だとは思えないでいる自分も怖い。

 

 

 

話が逸れたが

ふーちゃんとも長く居るつもりではいるが、撫でられる事が、果たして本当に彼女のプラスになっているかも分からない。

 

ただ現状は噛まれる状況が九部九里ない事に甘え、撫で回す事をよしとしている自分が居る。

 

結局、話が通じたら通じたで

それはそれで面倒だとも感じるのである。

 

信じた物を信じる様にしたいが、

それに傾倒しすぎないようにもしたい。

 

 

 

 

 

 

END

 

 

2022.05.07 雑記

日中に曲を作って、晩からは恵比寿リキッドルームcinema staffのライブを見に行って来た。

 

前衛懐古主義と題して、過去の曲だけで毎回ライブをする本日が3度目のイベント。

 

10年前に発売したアルバム「望郷」と、シングル「西南西の虹」「小さな食卓」「great escape」だけで構成されたセットリスト。進撃の巨人のエンディングから好きになった為、もうライブを通しての「望郷」は聴けないと思っていたが、一報があった時は本当に嬉しかった。

 

ボーカルの飯田さんが言っていた、「懐かしいって感情が1番好きで、なんて贅沢な事なんだと思う」と、その当時の事を考えながら話しているのが印象深かった。

 

本編の最後で、望郷の最後を飾る「溶けない氷」を聴いた時に、聴いていた当時の事がフラッシュバックして涙が溢れた。辛かった時や楽しかった時の事、また若くしてその当時に彼等がこのアルバムを作り上げた事の凄さや苦節の日々を想像し色んな感情がリンクし込み上げた。

 

ふとバドワイザーを飲み干して思ったが、ライブハウスでも酒が解禁されたんだと思った。思えば、コロナが緩和されてから1発目に行ったライブも1年前の恵比寿リキッドルームcinema staffだった。その時はドリンクカウンターが機能しておらず入場前後でペットボトルの飲み物を手渡しされるスタイルで、自分はいろはすを手にしたのを覚えている。寂しい事この上無かった。

 

また一人一人の区画が整備されているとは言え、あんなにパンパンだったライブハウスを久々に見た。皆んなの頑張りがあってかどうか、あの日の景色が戻って来た事を垣間見れて嬉しかった。

 

まだ油断は禁物だが、また少しずつライブに足を運びたいと思う。

 

 

自身のメンタルヘルスの為にも…

 

 

the end

2021.01.02 雑記

小学生の頃ぶりに、雑巾掛けをした。バケツに目一杯の水をはって、雑巾片手に地に這いつくばった。子供の頃はめっぽう掃除が嫌だったが、今は掃除が楽しくて仕方ない。階段の隅から隅まで、雑巾を掛けた。心が洗われる感じがする。人間、変わるもんだなと。

 

 

M1のマジカルラブリーが優勝した時の野田クリスタルのコメントで、「最下位になっても優勝することあるんで、あきらめないでください」がアルコール9%を含んだ涙袋に穴を開けた。もちろんこの賞レースが彼らの通過点にしか過ぎない事は周知の事実だが、信じた物を、己を貫いた生き様がそこに全て集約されていた。同じ気持ちになった人居たら、たぶん友達になれるかも。いや、そんな気安くないかてへぺろ

 

 

 

今年の抱負は

もう少し馬鹿になる。

馬鹿なりに博学になりたい。

馬鹿だと小馬鹿にする奴を、年甲斐も無く小馬鹿にしたい。

愛し、愛されたい。

 

 

 

 

今年もよろしくお願いします。

 

 

 

the end

2020.09.02 雑記

先日外出しようとした際に、玄関先でワイヤレスイヤホンの片耳を無くした。ケースにイヤホンを収めると充電が始まる物だが、蓋が付いて居ない為すぐに取り出しが可能で便利だ。が、その弊害を目の当たりにする事となった。

 

 

玄関を出て三段程の階段になっているが、掌をすり抜けたイヤホンケースはそこを丁寧に一段ずつ転げ落ちて止まった。拾い上げて確認すると、左耳のイヤホンがなくなっていた。辺りを探せど確認出来ず、側溝の中に落ちてしまったに違いないと踏んで、時刻が迫る駅へ向かった。幸い残ったイヤホンが携帯と同期出来た為音楽は聴けたが、片耳から雑踏が入って来て没入出来なかった。

 

 

これが自身で購入した物だったら仕方がないと諦めが着いたが、頂き物だったが為にただただ落ち込んだ。故に、人に物を送る時は形が残るは極力送ってはいけないと思った。本当は嬉しいし、自身が失くした事が大前提なのは重々承知。

 

 

頂いた人物に謝罪を兼ねて話すと、「形ある物だから、いつか失くすか、壊れるかじゃない?」とラフに切り返してくれた。その優しさに少し胸が痛んだ。

 

 

物にも愛を持って接したいと思う。分かってはいるが、また依存している。

 

 

the end

2020.08.16 雑記

来る者拒まず、去る者は追わずな性分。友人から誘われたら尻尾を振って喜ぶが、自分から友人を誘う事がまずない。「付かず離れず、ずっとあなたと生きて行きたいのです」と、モーニンググローリーの歌詞に認めてから約1年と半年。心と身体が曲に追い付くようになったと実感している。

 

 

 

CDを最後に出してから、自分の立ち位置は何も変わって居ない。しばらく燃え尽き症候群に陥っていて、またやる気が起きた矢先に、誰かの「お前の為を思って」イズムの助けにもならない助言や横槍によって、結構な頻度でメンタルを挫かれて来た。だから目障りな物を自分の眼前から排除して行く作業が今も尚続いている物の大分メンタルは屈強になった。何時だって大逆転狙ってんだオラっ!!

 

 

 

the end

2020.08.15 雑記

オンライン墓参りをした。定義はいまいちだが、オンライン墓参りは動画映像越しのお墓に親戚一同で手を合わせる物だと認識している。寝起きで携帯を見ると父から拝みなさいとお墓の写真が1枚送られて来た為、素直に拝む。ん?だとしたら、オフライン墓参りに訂正した方がよいのだろうか。

 

 

 

オンラインがどうので世間には良い顔をしない人もいる。形式的な意味で先祖に申し訳なくないのかとか、大概がそこへの指摘らしいが、言ってしまえば魂とか死後の世界なんてあって無い様な物に執着し過ぎている。一種の偶像崇拝的な物だし、それぞれが気持ちさえ持っていれば良いと思うが、やたらと苦言を呈したつもりの人も居る。マウント合戦はもう疲れました。

 

 

 

今日もローソンのメガアイスラテは美味いなと、机上の写真の母に微笑んだ見せた。

 

 

 

the end

2020.08.08 雑記

午前4:00。あぁ、また布団も敷かずに寝落ちてしまった。やってしまった。体が痛い。と、寝ぼけながら寝落ちる。

 

午前7:05。あぁ、また布団も敷かずに寝落ちてしまった。最悪だ。歩くか。と、DHCのサプリを白湯で流し込んで家を出る。

 

 

記憶について。子供の時に当時見ていた漫画のキャラクターの名前を全部覚えていたが、共通の話題を対大人と話した時に「あれ、何だったかね?」と忘れている人が以外といた。そんな大人達に対して口には出さないが、「何で覚えていないのか、俺なら忘れないのに」と、少し小馬鹿にしたのと何だか寂しげな気持ちがあった事を覚えている。

 

 

時を経て、相変わらず子供の時に見ていた漫画のキャラクターの名前を割と全部覚えていたが、最近見聞きする物に関しては時間が経って話題に上がった時に「あれ、何だったかね?」になる事が多い。その瞬間いつも子供の時の気持ちがフラッシュバックする。あー自分が対峙して来た大人達ってこういう気持ちなのかなって。何だか寂しげな気持ちである。

 

 

恐らく子供の時は、沢山の制約の中で生きている為、興味関心が漫画やゲームくらいな物で、それを熱心に見ていたから覚えているのだと思う。子供の時は趣味だけでよかったが、大人になるに連れて、趣味以外の沢山の情報量を見聞きする機会がある故に、記憶を刷り込む前に記憶に記憶を上書きしているような状態になっているので、あまり覚えきれていないのかもしれない。

 

 

しっかり刻み込んで行かないと、いい男になりそびれてしまう汗

その一環として文章を認めているのかもしれない。

 

 

the end